水本祥さん≪インタビュー≫

「今の店で働きたい一心で、足掛け3年ラブコールし続けました」

今回は、ワーキングホリデービザでスペインに渡り、現地の女性と事実婚をして、サン・セバスティアンのカフェテリアでバリスタとして働く水本祥さんにインタビューさせていただきました。

言葉もまだおぼつかないうちから、さまざまな人たちの助けを借りつつ、スペインに合法的に住む許可証、理想の仕事をとんとん拍子で手に入れてきた祥さん。

3人兄弟の末っ子ということで、きっと他人の好意に素直に甘えられるのだろうな、というのはインタビュアーである私の勝手な憶測ですが、祥さんの生き方は、困難な局面(特に海外)で躊躇せずに助けを求めることの大切さと、確固たる信念や粘り強さこそが幸運を呼び寄せるキーポイントであることを教えてくれます。

インタビューに使わせていただいた場所は、祥さんご自身の職場であるカフェテリア TABA が一角を占めるタバカレラ(旧たばこ工場を改装したサン・セバスティアンの国際現代文化センター)。コーヒーへの熱い思いをはじめ、これまでのストーリーや今後の夢について語ってくださいました。

― スペインに住み始めて4年半になるんですよね?ここに至るまでの経緯をざっとお話しいただけますか?高校生だった時ぐらいから。

水本祥さん(以下 S.M.)サッカーが好きなスポーツ少年でしたね。でも高校生活自体はつまらなかったから、最後の方はまともに行っていません。美大に進学したくて絵の勉強をしていたものの、大学に受からず…その頃ちょうど面白そうな仕事に巡り合ったので、すぐ働き始めました。だから高校は卒業できてるのかもわからないです。

その後しばらくは仕事に打ち込み、辞めてからバイクで日本一周の旅に出ました。

― へええ!どのぐらいの期間をかけて一周したのですか?

S.M. 約半年です。文字通り端から端まで周ったんですけど、その間、本当にいろいろなことがありまして…そこのところは省略しますが(笑)。旅を終え、人と接するのが好きだったし、ホテルの仕事なんかカッコいいなあと思って東京のホテルで2年ほど働きました。その後は沖縄の宮古島に移住して。

― それはまた、どういった理由で?

S.M. 東京のホテルは仕事が全部マニュアル化されていて、スタッフともお客さんとも繋がりがなんかこう…希薄だったんですよ。サービス業のスタイルとして、あまり好きになれなかった。

それと比較して、宮古島のリゾートホテルは会社自体が小さくてアットホームな雰囲気でしたし、人と人との関わりがもっとずっと密なところに居心地の良さを感じて、5年間いました。その頃ですね、「僕は本当に他人に奉仕するのが好きな人間なんだな」と気づいたのは。

― そこから、今度はオーストラリアに行かれたんでしたよね?

S.M. そうです。単なる好奇心から次は外国に行ってみたいなあと思って、ワーホリ(ワーキングホリデー)ビザでオーストラリアに飛びました。27歳のことです。

最初の1年はアルバイトをしながら、サーフィンをしたり車で色々なところを見て回ったり大いに楽しみました。カフェで働く機会もあって、そこで「あ、エスプレッソってこんなに美味しいんだ」と開眼して。

オーストラリアは2年目もセカンドビザと言って、農業に3か月従事することを条件に継続して取れるビザがあるんですけれど、翌年も日本に帰らずにそのビザを取得して、合計で2年間滞在しました。

― 興味深い制度ですね。農業とおっしゃいましたが、何をやったの?

S.M. パイナップルとアボカドの栽培を手伝いました。面白かったですよ。

―アボカド栽培には大量の水を消費すると聞いたことがあるのですが…

S.M. ええ、かなり凄かったです。

―オーストラリアの住み心地はどうでした?

S.M. 最高でしたね…何もわからないで行ったのに英語も上達しましたし、とにかく何もかも、スケールが大きくて。

その後、ビザの関係でいったんは日本へ帰らなければならなかったのですけれど、30歳になった時点で、最後のチャンスだし再びワーホリビザを取ろうと思いました。

―2度目のワーホリをスペインにしようと決めたきっかけは?

S.M.  フィーリングにまかせて決めた部分もかなりありましたけど、ヨーロッパを知らなかったというのがまずひとつ。ヨーロッパにはエスプレッソの文化がある。これはコーヒーの勉強をしに行かないわけにはいかないなと。あと、サッカーが好きでしたし、ちょうどその頃、スペインでワーホリビザの受け入れが始まったばかりで、取得のハードルが低そうだなと思ったことも理由です。実際すんなり取れました。

―で、いきなりサン・セバスティアンにいらっしゃったんですよね?なぜですか?

S.M.  僕は大きい街が嫌いなんですよ。田舎が好き、サーフィンが好き、海が好き、山が好き、自然が好き、でもスペイン語が喋れないからあまり田舎すぎても苦労するだろうなという感じで、消去法でサン・セバスティアンが最適だという結論に達したんです。ですから、迷いは全くありませんでした。

―では、スペイン語は全く喋れない状態でこちらへ来て…

S.M. 語学学校に入ってスペイン語の勉強を始めたのですが、英語と全然違うので「どういうことだ?!」と焦りまくりました。何とかコミュニケーションを取ろうと英語が喋れる人を探してしまったぐらい…とにかく大変だった記憶があります。

―語学学校にはどれぐらいの期間通われたんですか?

S.M. 1か月ぐらいかな。学校はもういいや、仕事をしようと職探しを始めました。スペイン語に自信がついたというよりは、働きながらの方が早く覚えられると思ったので。

コーヒーに関わる仕事がしたいという思いは強かったのですが、まあ最初は選り好みできないので、履歴書を持って手あたり次第当たってみました。

結局、就活がきっかけで誘ってもらったソシエダ(美食倶楽部)の会で色々な人との出会いがあって、その中の一人に「ドノスティ(サン・セバスティアン)で一番おいしいコーヒーが飲めるのはこの店だよ」と教えてもらったのが、今の勤め先だったんです。

―幸運でしたね。

S.M. でも、その時は従業員を募集していないと言われて…結局、今のボスに別の店を紹介してもらってそこで働き始めたんですよ。

―いずれにせよ、こちらに来て2か月足らずで好きな仕事に就けたのですから快挙ですよ。テストめいたものはあったのですか?オーナーが「お前、俺の前でコーヒーを淹れてみろ」みたいな。

S.M. ありました、ありました(笑)。でも、ある程度の知識はありましたし「美味しい」と言ってもらえる自信はありました。

―おお、素晴らしい。それが何年の話ですか?

S.M. 2019年です。

―…ということは、働き始めて間もなくコロナに見舞われたわけですね。2020年3月にロックダウンになったから。

S.M. あの時はすべてが急でしたよね…コロナが来るぞ、ロックダウンになるぞ、家から出られなくなるぞ、‘仕事が無くなるぞ、この全部があっという間にその通りになってしまって。

ただ僕の場合、幸運なことに、コロナ前に付き合い始めた彼女が「ロックダウンになりそうだからいっしょに住む?」と言ってくれたので、急遽、彼女の実家に引っ越して家族の方たちと共に生活することができたんですよ。

―そうだったんですね!ロックダウンは思いのほかに長かったから…独り暮らしだったら大変だったと思いますよ。鬱になった人も多かったみたいですし。

S.M. 僕もそう思います。それまでは間借りの身だったので、彼女の好意がなくて、あの部屋にこもりきりだったら絶対に頭がおかしくなっていたなって。

―お二人が知り合ったきっかけは?

S.M. ヨガの教室です。先に言ったように3月に一緒に暮らし始めて、僕のワーホリビザが6月に切れるタイミングで、事実婚の申請を始めました。

―そこら辺、じつにスムーズに事が運んだのですね。

S.M. そう…ですけれど、ほら、留学先の国にずっと住みたいならパートナーを見つければいい、それが一番手っ取り早い方法だとか言う人がいるじゃないですか。でも、言うほど簡単ではないですよ。

―ごもっとも。愛という複雑怪奇な感情が絡む話で、しかも、お相手が育った環境も違えば文化も異なる国の人となったら、簡単なわけがありません。見つけようと思って見つけられるものではないです。

ところで、ワーホリビザって1年が経過したら帰国することが義務付けられていますけれど、事実婚をすると帰国せずにビザの更新ができるのですか?

S.M. そうです。事実婚に必要な無犯罪証明書も戸籍謄本も、こちらの領事館で申請できるので、マドリードに行く必要はありましたけれど、ずっとスペインにいたままで更新できました。

―更新後のカードでも、もちろん就労できるのよね?

S.M. ええ、法律上スペイン人のパートナーとして扱われるので、更新後もワーホリビザで交付されていた就労許可証(カード)同じものがもらえました。ただ、更新に2年かかりましたけれど。

―そんなに長くかかったのですか?

S.M. 弁護士に頼めばもっと楽だったのでしょうけれど、自分たちで全部やったので四苦八苦しました。ご存じのように、政府のウェブサイトはものすごく複雑で、申請の予約も取れないし、必要書類はシステムにアップロードするように指示されても、そのシステム自体が上手く機能していないし…細かく地道にやっていくしかないから、それはもう大変なストレスでしたね。

申請後、政府からの返答があるまでは合法的にスペインに留まれるのですが、返答がもらえるまでに、すでに3~4か月かかりました。その後は追加の書類を要求されて、それを新たに提出しての繰り返しで、カードをもらえるまでに2年かかったという…僕の場合は晴れて更新が承認されたからよかったですけれど。

―その間はどういった状況に置かれていたのですか?

S.M. 申請をするとそれを証明する紙がもらえます。その紙には申請中のカードと同じ効力があるので、仕事は続けられました。

ただ、その2年の間に、残念ながら彼女との関係は解消することになってしまったのですが。

―でも申請は継続できた…

S.M. カードがもらえるまで、彼女の方で提出した書類はそのままにしておいてくれたんですよ。その点については、本当に感謝しかありません。彼女とは、現在も友人として良い関係を保っています。

―大変な思いはされたけれど、居住許可カードは取得できたわけですね。

S.M. 政府の仕事が遅いとか、いろいろ難点はありますが、周りに沢山いるモロッコ人とかを見ていて思うんですよね、スペインは移民を受け入れる器が大きい国だなと。だって、彼らの多くは違法でここにるのに、3年滞在すれば居住許可がもらえるわけでしょ?そんな制度は日本はもとより、他の国ではなかなか考えられません。

―オーストラリアでも?

S.M. 厳しかったですね。居住権を得るハードルはかなり高いですよ。

だから、日本からなら、学生ビザで3年間頑張って居住許可を取得するというのが、一番良い方法なのではないでしょうか。学生ビザでも週20時間は働けますし…もちろんそれだけでは生活できないですけれど。

―3年分の生活費を賄える貯金があって、それを切り崩しながら生活する必要がありますね。でも来る前にちゃんと計画さえしておけば、最も現実的で確実な方法であることに間違いありません。

コロナが明けて仕事を再開して、前のお店を辞めて今のお店に就職した当たりのお話をお聞かせください。

S.M. 最初から僕の希望は今の職場で働くことだったので、前の店で働いている間も、ずっとラブコールをし続けました。自分としてはもっとレベルの高いところで仕事がしたかったんですよ。前の店のオーナーはコーヒーのことをあまり知らなくて、むしろ僕の方が知識があるぐらいだったから。給料も待遇もよかったのですが、僕のモチベーションはそこには無かった。

今の職場のオーナーは3人兄弟なんですけれど、彼らはコーヒーマニアなんです。コーヒーについての一貫した哲学がある。そういう人たちの下で学びたいという思いがあって、ラブコールをし続けていたわけですが、その甲斐あって、ついに働かせてもらえることになって。足掛け3年かかりましたけれど(笑)。

―祥さんの粘り勝ちですね。では、職場が変わって知識も技術も向上したと感じていますか?

S.M. 凄く感じています。オーナーはイタリアで修業を積んだので、店で使っている豆は、2008年にヨーロッパでもっとも美味しいエスプレッソ豆に与えられる賞を受賞したイタリアの焙煎所のものです。上手に焙煎された豆を使い、いわゆる古き良きクラシックコーヒーで勝負しようというオーナーから、沢山のことを学ばせてもらっています。

クラシックコーヒーは、エスプレッソ発祥の国であるイタリアで愛された日常的なコーヒーのことで、とにかく「美味しさ」だけにこだわったスタイルです。豆の選び方から焙煎・抽出の仕方まで、すべてのプロセスがモダンなコーヒーとは違うんですよ。

―コーヒーにクラシックなものとモダンなものがあるとは存じませんでした。

S.M. 日本でも、昔ながらの喫茶店で、扉を開けた途端、えもいわれぬコービーの香りに満たされ、浮世離れしたヒゲもじゃのマスターがいるようなところがありますよね?クラシックコーヒーは、そういう店で出されるコーヒーのイメージといったらいいのかな。

―なるほど、思い描けてきました。

S.M. 今ってね、探せば一杯1万円のとてつもなく美味しいコーヒーさえ見つかるご時世なんですよ。でも、それを毎日飲み続けたいかといったら…果たしてどうでしょうね? 日常生活に溶け込んでいて、身近でありながら本当に美味しいコーヒーこそが、僕らが追求するクラシックコーヒーなんです。

―では、モダンなコーヒーとは?

S.M. 例えば、どんどん美味しくなっている缶コーヒーであったり、SNS界隈を賑す、ラテアートが施されたコーヒーであったり、コンビニで手軽に安く飲めるコーヒーであったり、おしゃべりしながら2時間かけて飲む、某有名チェーン店の季節限定フラペチーノであったり、スタイルはじつに多様です。

コーヒーの世界は常に進化と革新を続けていて、それを否定するつもりはありません。先に挙げたすべてのコーヒーをリスペクトしていますが、僕はそれは美味しいコーヒーの飲み方ではないと思っています。

―抽出の仕方も違うとおっしゃっていましたね。エスプレッソマシンは基本的にどこも一緒なのに?

S.M. その話を始めたら止まりませんよ(笑)例えば、豆を挽くグラインダーは日に何回も調整しますし、一杯のエスプレッソに入れる挽豆はそのたびにスケールで測っています。徹底的に掃除したポルタフィルターに挽きたての豆を入れてタンパー(圧力をかけながら水平に押し固めること)した後、表面に冷水を吹き付けて…これは、プレインフュージョンと呼ばれるプロセスですが…抽出し始める。あとは、抽出されたコーヒーが落ちる秒数をコントロールすればいいんです。

そのほかにも、豆にクオリティ、焙煎具合、水質、抽出温度、圧力、その日の気温や湿度といったすべての要素が関係してきますが、豆の挽き目と重量、抽出秒数の3つが揃えば、だいたい同じクオリティのコーヒーが淹れられます。

―抽出秒数をコントロールするということは、つまり最後の1滴までカップに落とすようではだめだと?

S.M. ええ、抽出のプロセスでは抽出効率が曲線を描いて上がっていくんですけれど、頂点を過ぎるとコーヒーの味が落ちていってしまうんですね。ですから、頂点を見極めて抽出をカットするというのが大事になります。

面白いことに、同じ豆を使って同じレシピで淹れても、バリスタが違うと味が変わることがある。最後はバリスタの「手」にかかっているということなんです。

―バリスタについて、もう少し説明をいただけますか?

S.M. コーヒーが栽培されてからカップに抽出されるまでを指す「豆からカップまで(Las semillas a la taza)」という言葉がありますが、その間のあらゆるフェーズでハイレベルに品質管理された豆を、最終的なプロセスである抽出を通して、高いカップクオリティに昇華させるのがバリスタです。

コーヒーは種子を植えてから収穫までに4年ほどかかると言われています。一杯のコーヒーになるまでに豆が辿る長い旅路とそれに関わった方々について、飲む人たちに思いを馳せていただけるように淹れるのが僕の役割であり、そういった意味でバリスタは職人です。

―つまりフィナーレを飾るマイスターでなければならないと。うーん、深いですね。

S.M. まだ名も知られていない小さな畑で愛情いっぱいに育てられた美味しいコーヒーが、世界中には沢山ありますから。

面白いですよ、コーヒーの世界。

― 大人気のスターバックスのコーヒーについてはどう思われますか?

S.M. あれ、全部ボタン操作で淹れているでしょ?愛のかけらもないなあって思うんです。僕は、コーヒーについて全て知りたい、そして、この手を動かし心を込めてきちんと淹れたい、そういう人間なので。

― 祥さんのコーヒー愛がこちらにも伝わってきます。イタリアの焙煎所にも行ってみたいでしょう?

S.M. そりゃあもう!オーナーの師匠がイタリアにいるので、その方ともぜひ会いたいし……いつか必ず行きます!

―4年半住んでみて、サン・セバスティアンの居心地はどうですか?

S.M. バスク人て働き者だし真面目ですよね。ある意味、スペインに対して抱いていたイメージが崩れたというか。もっと陽気で開放的な人たちなのかと思っていたら、そうでもない。恥ずかしがり屋で、ちょっと閉鎖的で。

―日本人と似ているところがありますよね。

S.M. そうそう。想像とずいぶん違っていたので、最初は正直、あまり好きになれなかったんですよ。でも、だんだん変わりました。とにかく今の職場が大好きなこともあって、長く住んで働きたいと思っています。

―日本に帰る可能性は?

S.M. できれば帰りたくないというのが本音ですね。東京生まれの東京育ちなのに、大都会にいると息苦しくて。離島とかなら選択肢としてありかもしれないですけれど…

今と同じ仕事をしながら日本にいる自分が、ちょっと想像できないというところもあります。こちらのコーヒー文化を日本に持ち込んでも、たぶんお客さんがついてこないと思います。コーヒーの飲み方が全然違いますし、ドリップ式の日本のコーヒーって本当に美味しいですから。いかにも日本人らしいなあと思うのですが、ドリップコーヒーを淹れるテクニックをとことん極めているんですよ。

―将来的に何がしたいとか、夢みたいなものがあればお聞かせください。

S.M. ここサン・セバスティアンでなのか、どこか他の土地でなのかは分かりませんが、機が熟した時点で自分の店を持ちたいとは思っています。いつか南米のコーヒー畑の手伝いもしてみたい。

―南米のコーヒー畑は祥さんのイメージにぴったりな気がします。でも、サン・セバスティアンにしか住んだことがないのなら、まずはスペイン国内の色々な土地を周ってみるのもいいかもしれませんよ。

S.M. じつを言うと、カナリア諸島が僕を呼んでいるって感じていて(笑)あそこだったらコーヒーの栽培もできるでしょ?

―そうか…そうですよね!バナナが育つ土地ですもの。

S.M. カナリア諸島はコーヒーベルトの中に入っているから育つはずなんです。商業化していなくても、すでに栽培している人は居ると思いますよ。僕も自宅で育てているぐらいだから。

―ご自宅で?バスクでも栽培できるのですか?

S.M.
 気候が適していないから生育は遅いですけれど、愛情を一杯注げば、育ちます。

―カナリア諸島かあ…宮古島が住みやすかったとおっしゃっていたものね。

S.M. そう…島だから、海もあるし、自然も豊富だし、僕が理想とするライフスタイルにぴったりかなと。

―そういう直感には従わないといけません。絶対に行ってください!というか、何年後かにはもう、自作のコーヒー豆を使ったお店を開いて、幸せに暮らしていそうです(笑)

最後に、これからスペインに住みたいと思っている人たちに何かメッセージがあれば、お願いします。

S.M. こちらにいると、日本人で良かったなと思う場面によく遭遇します。自分が日本人であると言っただけで、相手の信用度が格段に上がる。就活の時に特に感じました。そうすると「日本人は勤勉で、誠実である」という、先人たちが築き上げた日本の評価や名声に恥じないようにきちんと振舞わなければ、と背筋がピンと伸びるんです。

―おっしゃる意味が、非常によくわかります。日本にずっといたら、持つことがなかったかもしれない感覚ですよね。日本人に生まれたというだけで、私たちは凄く得をしている部分があるのだなという…

S.M. そうなんですよ。面白いなと思って。そんな有利な立場にあるわけですし、スペインでもどこでも、住みたければまず行動するべきだと思います。行動さえ起こせば、後からいろいろなことがついてきますから。そこに少しの運が加われば、何だって乗り越えられる。少なくとも僕はそういう風にして、ここまでやって来ました。

―「行動さえ起こせば、後からいろいろなことがついてくる」いいフレーズですね。まさにその通りだと思います。

本日は、誠にありがとうございました。今後のますますのご活躍を期待しています。

祥さんが自宅で育てているコーヒーの木
TABAで味わえるクラシックコーヒー